こんにちは。遠藤です。
夢をかなえるゾウという本の中に面白い言葉で、妙に納得できることばが出てきたので思ったことをそのまま書いていこうと思います。
その言葉はそのままブログのタイトル記事にしたのですが
「自分らの言う奇跡を起こす力が応募にはある」
目次
世の中に自分の存在(あるいは作品)を生み出したことを知らせる
夢をかなえるゾウって4まで出ているんですね。
2までしか読んでいないので機会があれば読みたいです。
※ここから先「夢をかなえるゾウ」はあまり関係なく筆者の考えだけつらつらと書きます。
「自分らの言う奇跡を起こす力が応募にはある」
そう言われると、例えば芸能事務所に履歴書を送ってみたり、小説のコンクールに作品を送ったり、何かの大会にエントリーしたりを思いつきますかね。
確かにうまくいけば人生が変わるような奇跡が起きそうです。
でもたいていの場合は、書類審査で落ちたり、何の賞も取れなかったり、誰かに敗れてお終い。奇跡は起きませんでした。というのがイメージできてしまうのも事実です。
まあそれは間違いなくて、芸能人なんかだと応募総数何万の中から選ばれたたったひとりのグランプリとか、トーナメントなら優勝できるのは運も実力も備えた1人だけだったり。
奇跡はめったに起こることのないから奇跡といわれるので、まあそんなもんだろうと。
なら応募にあるメリットは何かを勝ち取ること以外に何かないものかと考えてみると、自分の存在や自分の生み出した何か(作品)を世の中に出すことです。
行動力が大事だ!とよく耳にすることも多いかもしれませんが、行動力の証明みたいなものが応募にはある気がします。
例えば小さな応募でも良くて
みたいな。
誰でも応募が人生に大きな影響を与えてきた
小さな応募であっても、人生に大きな影響を及ぼすことがあるわけです。
というかむしろ、私を含めた一般の人にとっては小さな応募の方が人生に大きく影響します。
まず私たちは小さな応募を重ねてきて人生を形作ってきたはずです。
- 高校の入学願書を提出する
- 大学のオープンキャンパスに行く
- 採用試験にエントリーする
- 部活動の入部届を出す
などなど。
このような応募を繰り返して自分の周りの環境が作られてきたわけですね。
それはもう奇跡といってもいいような。人によっては間違った選択をしたと後悔している方もいるかもしれませんが。
ならどうして今頃「自分らの言う奇跡を起こす力が応募にはある」と言われて考えさせれれるのかですが、社会人になると急に応募する機会が減るからではないかと思うんですね。
どうして減るのかというと、自分で応募しなくても進むことができる(あるいはその場にい続けられる)からだと思います。
高校受験を受けないと高校に入れないから応募する、アルバイトしないとお金がないから応募する、大学を卒業して働きたいから応募する。
これらは自分の意志で応募したというよりは、環境がそうさせているという要因が大きいかなと。
なんとなく重いですよね。応募しなくても人生は進むからいいやってなるのもわかります。
小さな応募(表現は良くないかもしれませんが)にしても
などはなんとなく腰が重いものです。
ちなみにいわゆる大きな応募で人生に奇跡を起こす人たちもいます。芸能人とか研究者とか。
そこは否定する気はなくなんでも応募してみるべきかなと。
個人的にも大きな(自分の中で)応募は繰り返してきましたが、なかなか奇跡は起きてくれませんね。
- お笑いの大会に出た ⇒ 1回戦敗退
- 小説のコンクール(3回) ⇒ 2次審査落選
- ビジネスコンテスト挑戦 ⇒ 書類審査落ち
などなど。
応募することは挑戦や探求の先にあるのかもしれない
でもって、結局応募することが奇跡を起こすのかということですが、「自分らの言う奇跡を起こす力が応募にはある」という言葉に秘められた思いはやはり
「行動しよう」とか「探求しよう」ということだと思うんですよね。
特に社会人になると何かに挑戦したり、新しい勉強を始めることってかなりしんどい作業だと思います。
毎週5日間働いたら、平日の夜と土日しか時間がないのに、その時間を挑戦や探求に使用できるかというと簡単ではないですよね。
だからこそ、それができた先に「自分らの言う奇跡を起こす力が応募にはある」みたいな何かが待っているかもしれないよ?というメッセージだと思うんですよね。
特に「奇跡」という言葉を使っているのは結構重要なポイントだと思っていて、行動しよう探求しようと言ったものの、その先に必ず自分の求める結果が待っているとは限らないと。
だからやっても意味ないことかもしれないよと。
ただしやってみないとそもそも結果はでないからね?みたいな。
そして最初に戻ると、応募するというのは自分の存在や作品を世の中に出してみることで、その結果何か人生に大きな影響を与える変化が起きるかもしれないと。
だから大きな応募であれ小さな応募であれ、期待しすぎずに応募してみるくらいのスタンスでやってみるといいのかもしれないですね。
奇跡は起きなくても起こした行動に価値はある
結局、奇跡は起きないかもしれません。
でも奇跡が起きなかったとしても応募すること自体に大きな意味があると思います。
まあこんな風に1個1個具体的に書かなくても、なんとなくでいいんですよきっと。
なんとなく楽しかったなとか、なんとなく勉強になったなとか。
あるいは少しの勇気を出すことができたなとかね。
「自分らの言う奇跡を起こす力が応募にはある」
何かに応募することを繰り返して楽しみながら生きたいなと思うのでした。